【プライベート】続き~父の死に立ち会った貴重な経験~不思議なこと

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父が他界して思うこと、感じることはたくさんあります。

ひとつは、「人の死は、後悔の嵐」だと思いました。

特に関係が近ければ近いほど、後悔してしまうのではないか。

あの時、こうしてあげればよかった。あの時、あの時・・・と。

しっかり介護する時間があれば、後悔は少ないのだろうか?

少ないかもしれない。

いや、わからない。けれど、後悔しないことはないだろうな。

***

父はバリバリ働き、日本全国や海外にも行く会社員でした。

しかし、60歳のころ、仕事で精神的な大きなショックがあったようで

うつ病になりましたが、1年で回復したようです。

そこから、父の生き方、生活が一転します。

ほとんど家にいなかった父がずっと家にいるようになりました。

そのころは、私が第一子を生んだ頃なので、私は家にはいなかったのですが、

出産を里帰りさせてもらったので、父の様子は少し知っていました。

それからよかったり悪かったりして、毎年、グアムに行ったり、

和歌山にある会社の保養所が古いが、広い一軒家で、海が近いので

魚をとって1-2泊したり、自分なりに工夫して楽しみを見つけるようにはしていたのですが、楽しめるものはあまりなかったように見えました。

「眠れない」「便がでない」ことが父の頭を支配していました。

いつも物の本質を見ようとする人

だったので、そこにそれほど神経質になるとは驚きました。

***

実は私は、後悔はそれほどありません。

それは、今思えば、準備されていたんだと思います。

神様が私たち家族にその準備をさせてくださったのだと思います。

***

母が昨年11月にガンが発見され、手術しました。

そのことで、私たち家族・父・兄・私・妹に緊張が走りました。

それぞれが、母に対して反省し、覚悟もし、考えました。

私はレッスンの合間にできるだけのことはしようと思いました。

それを機会に、父がもっとシャンとしてくれたらと思っていたので、

母の入院中、あえて「父のごはんを作らない」ことにしました。

父は工夫してご飯を作るタイプだったから、そこを思い出してほしくて。

そして、毎日「ひまだ、やることがない」という父に、母の病院へ行くという

用事ができてよかったなと思っていました。

***

私はレッスンの後か、ない日に病院へ行って、洗濯物を届けたり、ひきとったり

ちょっと話したりします。そこに父も一緒に便乗していきました。

父と二人で車に乗るなんて、久しぶりでした。

話をします。こんな風に話しをするのも久しぶりでした。

私はとにかく忙しくて、家にいる時にゆっくり両親と話しをした記憶が最近ありません。

娘たちとは話すのに。両親とは全然話してませんでした。

父とのこの時間は、神様がプレゼントしてくださった時間だった。

今思えば。

何を話したかも覚えてません。母の病院へは何度行ったでしょうか。

「今日はよく歩いた」だったか、

「便が出た」だったか、「よく眠れた」だったか。

穏やかに話しをしたような気がします。

車という囲われた中でないと、私はすぐに用事に行ってしまう。

日赤病院への20分間の往復。

わかっていれば、もっといろんなこと話したのにと。

でも、これがいい時間だったのです。今思っても。

【ありがたい】 神様に感謝しかありません。

***

母の手術の前日、母の病室へ父と行って、明日からここへ自転車かバイクで

来たらいいねと話したら、

父「もう香織と一緒にくる」と言いました。

私「え?なんで、来てお母さんと会ったらいいやん」

父「もう病室に来るのも道がわからない。香織と一緒に来る」と母に言いました。

【私はその時、父から何かを渡された気がしました】

それは、とても大きなものを私の背中に乗せたな~と思いました。

この家の主権を私に渡した気がしました。

私にとって大きな父が、人サイズになった。

***

母は驚異的な回復をとげ、あっという間に退院しました。

ステージ3Bと言われ、転移も覚悟していましたが、

手術後、検査結果で、ステージ2になり、転移の可能性も低く

抗がん剤もなしでいきましょうと、普通の生活をしています。

***

お正月に、妹家族が帰ってきます。

下の子が小学生でかわいい女の子です。

だから、にぎやかになります。

母のことがあったので、父も連れて、近くの公園に散歩にいこう!と連れ出しました。

もう少しドライブしようと、妹家族と両親とで少しだけ遠出しました。

そんなこと、ここ近年ではなかったのですが。

父も母も年をとってきたので、兄家族も含めてみんなで今年は旅行にいこう!と声をかけていました。

私の娘が遠くに行っているので帰ってきてからということで、秋に計画していたのですが、間に合いませんでした。

***

父は自然が好きで、山登りによく家族ででかけました。

あけびを見つけて、みんなで甘い甘いと食べたことが今思い出されました。

普通の道ではつまらない!と生駒山を上るのに、獣道をいって、草木の中をぬっていくので、傷だらけになったこともありました。笑

そんなに大変な山でないのに、あえて大変にする。笑

体が丈夫で働き者で、この年代の方に多いですが、なんでも工夫して物は捨てずに使い続ける。

父は電気技師だったので、テレビの線やネットの線はもうどうなっているのかさっぱりわかりません。

水道もいじりだして、ある日、寒い冬の日に私のキッチンの水道がでなくなりました。その日は大阪中、水道管が破裂した家庭が多くて、水道屋さんに連絡しても来てくださったのは、夜でした。

水道屋さんいわく、これはここから全部やりなおさなくてはならない

だから、25万円かかると言われました。

父は「あほか~!」と一喝。

「ここだけ変えれば済むのではないか!」と口論になり、水道屋のお兄さんも

「僕はしりませんよ!」と言って、帰られました。

次の日、私と父と作業して、私はこわごわ水道を開通させましたが

成功でした。

部品代だけだったので、数千円ですみました。

人に遠慮することはなく、堂々と自分の意見を言い、嘘はつかない。

本当に思っていることしか言わない人でした。

逆に人に合わせることが苦手だったので、どこかのコミュニティに属さなかったので、少し寂しい晩年だったかもしれません。

しかし、その分、母がずっとそばにいたと思います。

***

話がそれました。

父が亡くなった時に不思議なことがありました。

夜中に咳きこんで、辛そうだったので母がお水を持ってきて

飲むと少し楽になったようでした。

「トイレにいく」というので、いつもはそうしないのですが、今回はしんどそうだったので母が手をにぎって誘導しようとしました。

すると、無言で手を振り払いました。

父が一人でトイレに行っている間に、母はキッチンで待っていました。

その時に何気にこのメモを書きました。

父はきっと、母がこれを書いて神様に祈っている間に、逝きました。

いつもはこんなメモを書かないのに、なぜ書いたのかわからないと母は言います。

そして、日時など書く必要ないのに書いています。

推測すると、父は、3月14日 3時15分前後に亡くなっていると思います。

母はこのメモを書いたことも忘れて、どこかに置いていました。

父が亡くなった次の日ころに、妹がふと見つけました。

妹は、これを見て「お父さんは天国に行ったな~」と。

私たち兄弟と母は、これを見て、心が穏やかになります。

天国の切符を母が書いて、父が持っていきました。

熱心なクリスチャンではなかったけれど、神様のもとに今いるのだと思うと

私たちの気持ちは晴れます。

「体が軽くなったのぉ~」「体がないと楽じゃのぉ~」と喜んで、何か人のために役に立つことをして働いているのではないかと思います。

人の役に立つこと・働くことが好きな人でしたから。

***

聖書の言葉から ~コヘレトの言葉 3章1~11節~

何事にも時があり

天の下のできごとには、すべて定められた時がある

生まれる時、死ぬ時

植える時、植えたものを抜く時

殺す時、癒す時

破壊する時、建てる時

泣く時、笑う時

嘆く時、踊る時

石を放つ時、石を集める時

抱擁の時、抱擁を遠ざける時

求める時、失う時

保つ時、放つ時

裂く時、縫う時

黙する時、語る時

愛する時、憎む時

戦いの時、平和の時

神はすべてを時宜がかなうように造り、

また、永遠を思う心を人に与えられる。

***

母の3ケ月検診で、「異状なし」を聞いて、

私のお菓子教室が徐々に軌道にのりはじめて。

最後にネットが未だにつながっていないのですが、

ネットで株の取引きをするのが今の父の唯一の楽しみで、ネットがつながらず

私だけが裏技でつないでいます。器具を移動して、線を付け替えると父のパソコンにもつながります。

つまらん、つまらんと言ってたのを、私が慌てて3/13水につないで、

2週間ぶりにネットにつながり、株を見ました。

「ありがとう。香織ちゃん」 ”ちゃん”なんてつけない人が。笑

穏やかに言って、私はちょっといい気で、「いいよ」と会話したのが最後だったかなー。

ネットにつないでよかったーと今でも思います。

そんなささいなことで、きっととてもとても後悔していただろう。

つないでよかったーと何度も思います。

***

突然でしたが、神様が準備していたのだと。

そして、私たち家族は守られて、父は逝ったな~。

でもやっぱり、涙をいっぱい流しながら、この文章を書きました。

長文を読んでくださりありがとうございます。

父のことにまつわることは、これで終了です。

また、何かあれば書くかもしれません。

ぜひ、一度教会へ行くか、聖書をとってみてくださるといいなと思います。

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